◇ 旅の思い出 モンゴル            川崎 弘


夏が来れば思い出す。遙かな尾瀬〜ならぬモンゴルの青い大地を。
 モンゴルというとゴビ砂漠を連想し、果てしない砂丘の連なりをイメージするかも知れない。しかしそうした風景は東部の一部でしかない。「ゴビ」とは本来「荒れ地」を意味する普通名詞で、まばらながらラクダ草なども生えている土地なのである。夏を迎えると、その「ゴビ」が一望の緑となる。ゴルフ場の芝生みたいなのが、地平線まで連なり、遊牧民の移動住宅である白いゲルが点々と散らばる高原の国。それがモンゴルの夏である。

 あの国を訪れたのは、もう二十年もの昔だった。
 今でこそ大相撲の関係もあって、馴染み深い名になっているが、当時のモンゴルを訪れる日本人はわずかだった。当然ながら市販のガイドブック類も全くなかった。直行便はおろか中国経由さえなく、シベリヤから入った。機上で書く入国カードからして困った記憶がある。記入項目が二ヶ国語で併記されているのはよいのだが、それがモンゴル文字とキリル文字では〜〜。
 七月には全国各地で一斉に「ナーダム」という祭がある。首都ウランバートルのが最大規模で、その見学が主な目当てだった。弓・競馬・相撲の三種目がある。どれも素朴そのもの、余計な演出はいっさいない。
 弓は特別な会場ではなく、そこらの草原の一画でのごく地味なものだった。
整備された競馬場なぞない。競馬は選ばれた少年少女の騎手が、三十粁ほど離れた出発点から、首都郊外のゴールへひたすら駆け、こちらはそのゴール近くで待機する。やがて遠くに砂煙があがり、汗にまみれた馬が目の前を駆け抜ける。その一瞬に見物人の歓声がひびく。正直言ってアッケない。むろん馬券はないし、優勝しても賞金はでない。「得るのは名誉だけ」なのは、古代オリンピックと同様である。
 相撲は迫力満点だった。日本のような様式美はないが、それだけに格闘技としての原始的な興奮に満ちている。土俵はなく、相手を地上へ投げ倒せば勝ちだ。それも広い国立競技場いっぱいに、何十組ものたくましい大男たちが一斉に対戦する。相撲でいえば砂かぶりに座っていると、飛び散る汗がかかりそうだ。勝った選手はいわゆる「鷹の舞い」を披露しながら引上げてゆく。
 ともかく広い国である。面積は日本の5倍もあるのに、当時の人口は二百万たらず。首都ウランバートルさえ、ごく静かな街だった。ちょっと郊外に出るともう草原が広がっている。
 放牧のヤギや羊はいっぱいいた。妻が何気なくヤギに菓子をやったら、たちまち大群に押掛けられて身動きもできず、悲鳴をあげるハメになった。ラクダは毛変りの時期で、斑に冬毛が残るヘンな姿。「こりゃ面白い、記念品にしよう」と近寄って毛をむしっていたらブワオーと叫ばれて飛上がった。横にいたアメリカ人が爆笑した。
 さすがに交通の主役は、馬からバイクに移りつつあったが、高速道路などある筈もない。散在する観光地へ行くには、首都から放射状ある国内線の空路を使って往きつ戻りつすることになる。
 使用機は四十席ほどのソ連(当時)製のアントノフA24。「空港」は舗装なしのただの草っ原だし、設備といえば給油ポンプと吹き流しだけ。その空港のすぐ横にある観光客用ゲル群に泊ったのだが、客用の設備は共用シャワー程度。でも係員のおばさんの温かいもてなしには満足した。
 夜は凄い星空。七月というのに、朝の気温は零度だった。朝露を踏んで朝の散歩にゆけば、一足毎に無数のバッタが飛び立つ。止めてある飛行機のところ行って、プロペラを手で回して遊んだりもした。
 飛行機がまた年代モノ。座席ベルトが無かったり、背もたれが勝手に引っ繰り返ったり、極めつけはトイレのドアが故障して、東独の女性が閉じ込められたこと。半泣き状態で何とか”救出”されたが〜。

 あの頃は「本職」の詰将棋にもまだ熱心で、創棋会も欠かさず出ていた。右図は第56回(82.2.14)の課題「初形市松」だった。こじつけ気味だが、九段目を地平線に見立てれば、何となくモンゴルの夜空に瞬く星座の風情が・・・・?

 ひとつ軽快な手順を追って見て下さい。

 詰将棋はむろんだが「将棋」も旅とは無縁だ。前回の「旅と将棋」にも書いたように旅先での対局は例外中の例外といえる。


  モンゴルではよく宿舎にチェス盤があった。当時のモンゴルはソ連の実質支配下にあり、ソ連が世界的なチェス大国なのはいうまでもない。もっとも対局しているのは外国人だけで、縁台将棋みたいな対局風景は一度も見なかった。
 岡野伸氏らの《世界の将棋》によるとルールはチェスと同じながら、駒の名称はクイーン=ペルス(右腕)/ビショップ=テメゲ(駱駝)/ポーン=フウ(息子)などに変っているとか。モンゴル独特の将棋(シャタル)もありラクダなんて駒もあるそうな。
 できれば買い込みたかったが、ガイドも知らなかった。

シャタル
(関西将棋会館資料館所蔵) H16.6撮影T.H

 世界各地の旅で、その国独自の将棋を入手しようとしても、ほとんど成功しないのが常だ。私はチェス/象棋/韓国将棋の三種しか持っていない。
 いま大相撲で「横綱、朝青龍〜。モンゴル・ウランバートル出身〜」のアナウンスを聴くたびに、素朴で伸びやかだったあの旅が瞼によみがえる。


詰将棋詰手順
 12歩、21玉、13桂、同銀、11歩成、同玉、23桂、12玉、24桂、同銀、
 11桂成、同玉、31龍、12玉、22金、13玉、11龍まで17手詰。

 以上。




inserted by FC2 system