伊藤看寿について

1.1 伊藤看寿について

 伊藤看寿は五世名人二代伊藤宗印の五男として享保四年(1719)に生まれる。 贈名人、生前の段位は八段であった。幼名は正福(まさとみ)という。幼少の頃から、将棋の才を発揮し、特に詰将棋の創作では抜きんでていた。 幼くして、611手を作ったとされている。
 三代宗看の弟にあたるが、子供のなかった宗看の嗣子として元文元年(1736)から御城将棋に出場した。宝暦四年に八段に昇段した。翌年に次期名人候補と して『象棋図式』別称『象棋百番奇巧図式』俗称『将棋図巧』を献上した。しかし、宝暦十年(1760)に病没した。名人位は没後に宗看から贈られたという。 東京都墨田区の本法寺に墓がある。





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